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好守連発、投手への夢抱きつつ 横浜・岩間理樹選手

2008年08月18日

<南神奈川代表 横浜> 帽子を目深にかぶり、声を上げて泣き続けていた。横浜の5番岩間理樹(としき)君(3年)は、2三振に唇をかんだ。

写真大阪桐蔭―横浜 1回表大阪桐蔭2死一塁、萩原の左邪飛を好捕する岩間左翼手

 「自分が打っていれば……。勢いを止めてしまった」

 3回1死一、二塁と5回2死一塁。いずれも得点した後だっただけに、「続かなければ」と力が入ってしまった。

 中学時代は投手だった。2年春にシニアリーグの全国大会に優勝。エース土屋健二君(3年)にも投げ勝ったことがある。左腕からの大きなカーブが武器だった。

 高校に入学すると、同学年に投手は6人いた。厳しい練習に1人、また1人と脱落し、他のポジションに転向した。1年夏、「新チームから外野だ」と宣告された。

 本意ではなかった。横浜商で外野手だった父・勝也さん(41)は、小さい頃から毎晩のように投球練習に付き合ってくれた。投手をあきらめたら、父の期待に背くことになる。相談すると、逆に励ましてくれた。

 「外野守備はまず、打球の落下点を予想し、そこに走ることだ。最初は勘が外れてもいい。どんどん自分の思ったところに落ちてくるようになる」。その言葉を信じ、初めての外野に取り組んだ。

 この日も1回2死一塁の守備で、レフト線際の左邪飛をダイビングして好捕。中堅に変わった8回にも右中間寄りの鋭い打球を捕り、守備でチームをもり立てた。

 今春の選抜大会後、渡辺元智監督(63)から、自分を見つめ直す意味で合宿所から出させられた。自宅通いになったが、素振りの量は増えた。選抜では6番だったが、南神奈川大会から5番に定着。甲子園でも2回戦の広陵戦で2安打を放った。

 投手への未練はある。大学では野手か、それとも投手に再挑戦するか――。「悩み」はずっと押し込めてきた。甲子園が終わり、これからゆっくり考えようと思っている。(伊藤雅哉)


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