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屈指の右腕を足で崩す 横浜・倉本選手

2008年08月13日

<南神奈川代表 横浜> 同点の4回2死一塁。横浜の一塁走者倉本寿彦君(3年)は、広陵の2番手中田廉君(3年)の投球動作を見つめていた。「クセはある。あとは思い切り。足でプレッシャーをかけたかった」

写真4回裏、倉本寿彦選手は二盗に成功する

 セットポジションに構え、そこから三塁方向に目線を向ければ、牽制(けん・せい)球は来ない――。小倉清一郎部長(64)のデータにあった。自分もビデオで何度も確認していた。

 2番大石竜太君(1年)への2球目。スタート。この二盗で中田君を揺さぶり、直後の勝ち越し打につながった。6回もバント安打で出塁し、再び二盗成功。大会屈指の本格派右腕を、足で崩した。

 大阪入りしてから、チーム全員で夕食後に30分間の素振りを続ける。倉本君はそこからさらに約1時間、バドミントンのシャトル打ちに励んできた。メンバーには入れなかった坂本竜一君(3年)がシャトルを上げてくれている。

 中学時代、シニアリーグの全日本に選ばれた同級生もいる中で、倉本君は「無名の存在」だった。1年の夏ごろまでは、上級生の練習の手伝いだけで終わる日もあった。自分の練習ができずに疲れ果て、げっそりやせた。

 何度か思い詰めて両親に相談した。母・智恵子さん(40)は「何のために横浜に入ったの。野球をやるためでしょ。気持ちで負けるな」と励ました。父・孝之さん(40)は「無名なんだから、人の3倍はやらなきゃ背番号を取れないぞ」と言って聞かせた。

 1年秋に背番号をもらうまで、綱渡りの日々だった。

 はい上がったからこそ、仲間のありがたみが一層分かる。5月、甲府で関東大会があった。荷物に入れるはずのシャトルを忘れてしまった。坂本君は宿舎近くのスポーツ店を数軒歩き、汗だくになって用意してくれた。

 「坂本には苦しい時にいつも助けられて、感謝しています」。試合後、取材を受ける倉本君の背中を、坂本君はポンとたたいた。

 甲子園で勝ち続ける限り、2人の夜間練習は終わらない。(伊藤雅哉)


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