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見せた意地 近江涙 本塁打、夢中で振った

2008年08月04日

 あと1点だった――。3日にあった第90回全国高校野球選手権記念大会(朝日新聞社、日本高野連主催)の1回戦で、滋賀代表の近江は、智弁学園(奈良)と対戦し、4―5で敗れた。両エースが計302球を投げきった大熱戦。満員のスタンドからは、試合後も、近江の選手たちの健闘をたたえる拍手が鳴りやまなかった。

写真智弁学園―近江 3回裏近江2死二塁、上田は左越えに逆転本塁打を放つ

 ◎…1点差を追いかける3回裏2死二塁、3番上田大地君のバットが、智弁学園のエース阪口君の2球目を完璧(かん・ぺき)にとらえた。左翼席へ一直線に飛び込む大会第3号の逆転2点本塁打。「たぶんスライダー。無我夢中で振った」。滋賀大会で2本塁打を放ち、試合の流れを変え続けてきた。その好調さを、3万9千人の観衆が見守る甲子園でも変わらず発揮した。

 滋賀大会の直前まで、ベンチ入りさえ危ぶまれた。昨秋の練習試合で左肩を脱臼。本来のバットスイングが戻らず、今年2月、決意して手術した。練習に復帰できたのは5月下旬。バットを振れるようになったのは6月だ。

 だが、練習試合で結果を出せず、先発メンバーを外された。「治っても治らなくても一緒じゃねえか」。バットを投げたり、グラブをたたきつけたり、自暴自棄になったこともあった。

 そんな上田君を、仲良しの西田悠樹君が励ました。滋賀大会の直前、「お前が帰ってきたらチームは勝てるから」とメールを送った。上田君はその翌日の練習試合で、突然、打てるようになった。背番号14をもらって滋賀大会に出場。活躍を認められ、甲子園では背番号9をつけた。

 本塁打の瞬間、ベンチにいた西田君は涙をこらえきれなかった。「甲子園で優勝するまで泣かない」と決めていたが、つらかった時を知っているからこそ、頼もしくて、うれしくて仕方がなかった。

 「これで試合が終わってくれたら」。結局、チームは逆転を許し、上田君の願いはかなわなかった。「みんなにかけた迷惑のほんの一部しか返せていない。負けたら本塁打を何本打っても仕方がないんです」。試合後、上田君は泣き崩れた。

 ◎…エースの小熊凌祐君は1回表、2三振を奪う好スタートを切った。

 これまで立ち上がりに苦しむことが多く、春の近畿大会の智弁学園戦では、初回に失点して敗れた。捕手の京山哲也君は「さすが小熊。甲子園という舞台では大丈夫だ」と安心した。

 だが、2回、先頭打者に四球を与え、その後も制球が定まらない。「三振はいいから、変化球を打たせろ」。多賀監督はカーブやスライダーを中心にした投球を指示。京山君も「何かおかしいな」と感じつつ、5回までは走者を背負っても要所を締めた。

 しかし、6回表、無死二塁から左前安打を打たれる。左翼手の増田恭兵君が球をつかみ損ねる間に、走者が本塁に突っ込んだ。

 中継に入った遊撃手の青山浩之君が「このタイミングは絶対アウト」という好返球。しかし、京山君が伸ばした両手をすり抜けるように、走者がスライディング。同点に追いつかれた。

 「どうすればよいかわからなくなった」と京山君。続く7回、勝ち越し打を浴びた直後、相手の4番打者に2点本塁打を打たれた。小熊君は「警戒していたけど、ボールが思ったところに全然いかなかった。自分のリズムに乗れなかった」と悔やんだ。

 ◎…近江は9回裏に粘りをみせた。疲れが見えた相手エースを攻め、林広幸君と西田君が連打で出塁。上田君が左翼線を破る適時二塁打で続き、2点差に迫った。なおも四球などで2死満塁。

 「9回2死」からの勝負。近江は新チーム発足直後の秋の県大会で、同じ状況から北大津に逆転負けし、選抜出場を逃した。「あの試合から自分たちは始まった」と言いながら、夏に臨んでいた。

 打席に入った辻山祐成君は「こういうときこそ後ろを信じてつなぐ野球なんだ」。バットを短く持って球を見た。押し出しの四球で1点差。

 続く打者は、2年生の富尾俊己君。「笑顔やぞ、笑顔や」。青山君は二塁から、いつもの口癖で励ました。エース小熊君も次打者席で富尾君を見守った。「つないでくれ。(投球の借りは)バットで返すから」

 しかし、二ゴロで試合終了。「悔いがないと言えばうそになる。でも、みんなのおかげでここまで来られた。甲子園は夢舞台だった」と小熊君。

 「これを糧に富尾たち2年生は、来年こそ全国制覇をしてくれると思う」。チームを引っ張ってきた主将青山君の目に涙はなかった。


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