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逃げぬリード、好投演出 青森山田・矢野捕手

2008年08月12日

<青森代表 青森山田> 青森山田の捕手矢野君侍(きみひと)くん(3年)の祖父、故曽木勝英さんも高校球児だった。

 曽木さんは宮崎県生まれだが、鹿児島商工(現樟南)に「野球留学」した。鹿児島実に敗れ、甲子園に行けなかったという。

 大阪府和泉市。祖父は矢野くんが野球に打ち込んでいるのを喜び、練習も試合も見に来てくれた。

 「じいちゃんがいる、と思うと安心できた」

 矢野くんは、試合が終わると、自分のプレーが写っている写真を持って祖父の家を訪れた。熱い茶とまんじゅうを片手に、じいちゃんがにっこり笑った。

 「君ちゃん、このフォーム、ええなあ!」

 「ほんまに?」

 矢野くんは「じいちゃんにほめられたくて、何度も家に通った」と言う。

 一度だけ、祖父に怒られたことがある。

 小6の時、試合を終えて泥だらけのスパイクを玄関に出しっぱなしにしていた。

 「なんでこんな汚いんや」

 初めて見る祖父の怒った顔だった。「何でも毎日続けるんやで」。それが、祖父の口癖だった。

 祖父は矢野くんが中3の時に持病の糖尿病が悪化し、合併症で亡くなった。60歳。孫が甲子園に出る姿を、誰よりも楽しみにしていた。

 「絶対、甲子園に出らなアカン。じいちゃんの分までがんばる」。矢野くんはそう決めて青森山田に入学した。

 昨夏、2年生で初めて甲子園に出場した。2回戦の聖光学院(福島)戦、7回に代打で出たが、右飛。4―6で敗れた。悔しかった。毎晩11時すぎまで自主練習をした。

 祖父の「何でも続けるんやで」の言葉が力をくれた。

 11日の2回戦。

 本庄一打線はエース木下龍二くん(3年)の「内角の直球封じ」に出た。

 打者はホームベースぎりぎりに立ち、内角に投げさせないようにしたのだ。木下くんは序盤、打者をかわそうと変化球を多用した。

 5回裏1死一、二塁のピンチ。矢野くんは直球で勝負のサインを出した。「勝負の時こそ、逃げずに内角を攻めました」。続く2人の打者を内野ゴロに打ち取り、6回の攻撃につなげることができた。

 「じいちゃん、負けなかったよ」

 矢野くんのバッグには、祖父と一緒に撮った写真が入っている。小6の時、所属していた地元の野球チームが全国大会で優勝した時、記念撮影したものだった。

 青森山田に入って、ずっと持っている。「少しぼろぼろになってしまったけど」。九州の高校球児だった祖父と矢野くん、にっこりと並ぶ2人の口元が似ている。(石川瀬里)


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