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長崎日大(長崎)ニュース

「おやじ」栽監督の夢継ぐ 長崎日大・金城監督

2007年08月19日

 沖縄水産の監督として夏の甲子園で2年連続準優勝し、今年5月に急逝した栽弘義氏(享年65)。「名将」と呼ばれたそのDNAは長崎日大を率いる金城孝夫監督(53)に引き継がれている。99年春の選抜で沖縄尚学を沖縄勢初の優勝に導いた手腕で、「おやじ」が果たせなかった夏の全国制覇に挑む。

写真ベンチから大声で指示を与える長崎日大の金城監督(右)=12日、阪神甲子園球場で、遠藤真梨撮影

 「厳しく攻めろ」。12日の星稜(石川)戦。甲子園に野太い声が帰ってきた。選手の動揺を防ぐため、必要以上に立ち上がらない。グラウンドに上がる階段に左足をかけ、げきを飛ばすスタイルは沖縄尚学時代と一緒だ。

 金城監督は、栽氏が豊見城高(沖縄)の監督だったころの教え子。中京大から高校野球の監督という経歴も共通する。初めて監督となった弥富高(愛知)に、栽氏は沖縄から度々遠征に来てくれた。沖縄水産が甲子園に出ると、今度は自分が同校の宿泊先に駆けつけ、野球談議を繰り広げた。

 そんな交流からチームづくりのイロハが引き継がれた。「容姿まで似てきた」。いつしか周りから、そう言われるようになった。

 故郷に帰った金城監督は98年、沖縄尚学の監督に就き、翌春の選抜大会で初の優勝旗を持ち帰った。栽氏は今春の心臓手術の後、5月に亡くなった。多くの野球関係者が駆けつけた葬儀の席で金城監督は誓った。「先生より良いチームをつくって見せます」

 それから2カ月。長崎日大は、甲子園出場を決めた。学校近くの寮で選手たちと寝食をともにし、生活態度にも目を光らせる。朝は野球の練習をやめ、代わりに清掃活動と読書を課した。「人間力を鍛えることが、チームを強くする」。栽氏と共通する「人間づくり」重視の指導法が実った結果だった。

 「甲子園に行きます」

 長崎大会の決勝直後。学校に戻るバスの中で、金城監督は、栽氏の妻千賀子さんに電話で報告した。栽氏は死の直前まで、夏の全国制覇を夢見ていたという。

 「『おやじ』が亡くなった年に出場を決めて良かった。私自身にとっても記憶に刻まれる夏になる」


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