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京都外大西(京都)ニュース

エースの座競って成長 京都外大西・辻孟彦投手

2007年08月18日

 やっとたどり着いた初めての甲子園のマウンド。ベスト8入りをかけた対戦で先発したのは、辻孟彦君だった。「自分のやり方で攻めよう」。真夏の日差しが照りつけるマウンドで、暑さは全く気にならなかった。

写真京都外大西−長崎日大 力投する先発の辻=阪神甲子園球場で

 立ち上がり、球は走っていたが、四球で出した走者をかえされ、先制を許す。4回まで毎回走者を背負う苦しい投球。相手打線はしっかり振ってきた。直球を軸に攻めたが、4回2死三塁とされて、安達優君に引き継いだ。

 5回には再登板したが、2死二塁となって白井浩樹君と交代した。「やれるだけのことはやった。後は仲間が何とかしてくれる」。笑顔でマウンドを譲った。

 小学生時代から投手で活躍。エースとして全国大会を制覇。中学では全日本選抜に入り、世界大会3位に貢献。実績をひっさげて京都外大西へ進学した。だが、ひじを痛めた。投げるたびにしびれ、かばんを持てないくらい力が入らなかった。マウンドから本塁まで投球が届かなかった。

 一方、本田拓人君は1年で甲子園で5勝をあげ、準優勝投手となった。「めちゃくちゃ悔しかった」。中学時代はチームのエースが辻君で、本田君は3番手だったからだ。本田君がいるからと、投手をやめる仲間も現れた。もう追いつけないと辻君も感じていた。

 でも、あきらめなかった。一塁手として守備練習などに参加しながら、筋力強化や足腰を鍛えるトレーニングを続けた。ひじのしびれが消えるまで、1年以上かかった。

 投手に復帰した後も、順調とはいえなかった。立ち上がりが悪く、勝てない日々が続いた。去年秋の府大会で優勝できず、今春の選抜大会出場を逃した時は試合後、ベンチで悔し涙を流した。

 7月の京都大会では5試合に登板したが、投球は満足がいかなかった。甲子園でこそ活躍したい。「最後の年にようやく甲子園に出られた。思い切り楽しみたい」と、試合前に意気込んだ。

 8回裏、救援した本田君が勝ち越し打を許す。辻君は一塁手としてその瞬間を見つめた。「本田のためにも逆転してやる」。9回1死一、二塁の好機で打席が回ってきた。初球の甘いコースを狙った。「いける」。力んでしまい引っかけた打球は併殺となり、「夏」が終わった。

 「本田や他の投手がいたから、ここまで成長できた。仲間にありがとうと言いたい」。苦しみを経験したからこそ、背番号3は最後に笑顔になれた。


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