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神奈川ニュース〈特集〉

〈いつも、一番近くに3〉二人で追う甲子園

2007年06月29日

 小さい頃から、父はずっとあこがれの存在だった。東海大相模の遊撃手田中広輔君(3年)は、父親の正行さん(47)が甲子園を目指したグラウンドで、同じ夢を追っている。

写真「おれたちのころよりみんなのびのびやっている」と話す父親の田中正行さん=東海大相模の野球部グラウンドで
写真父親と同じ遊撃を守る。東海大相模の田中広輔君=東海大相模グラウンドで

   ◇ 

 78年の夏、遊撃手だった正行さんたちのチームは神奈川大会の準々決勝で横浜商に敗れた。前年まで東海大相模は4年連続で甲子園に出場。1年生のときには現巨人監督の原辰徳さんらを擁して、優勝候補と言われた。2年生のときには正行さんも背番号14でベンチ入りし、甲子園の土を踏んだ。

 それだけに3年生の夏、甲子園出場を逃したときは、信じられない思いでグラウンドに立ちつくした。

 あれから29年。今は5人の子どもを持つ父親だ。2人目で長男の広輔君には「野球をやれ」とは言わなかった。それでも3人の息子は、自然に野球を始めた。

 正行さんも座間市役所に勤めながら、職場の軟式野球部で活躍した。週末の試合には広輔君も父親についてきて、一緒にボールを追いかけた。

 広輔君は小学6年のとき、地元の硬式野球チームに入った。正行さんも頼まれてコーチになった。野球を始めたばかりの純粋な子どもたちに野球を教えることに夢中になる。今はチームの監督となり、全国大会にも出場する強豪に育て上げた。

 信条は三つ。「思い切り走る。思い切り投げる。思い切り振る」。試合でもあまりバントはさせず、「思いきりバットを振ってこい」と、選手を打席に送り出す。

 広輔君にも、野球に対する姿勢をきちんと教えてきた。

    ◇

 広輔君には野球を始めたばかりの5歳のころの記憶がある。毎朝6時に正行さんを起こし、「キャッチボールいこうよ」と誘うと、眠そうでも必ず来てくれた。マンションの中の小さな広場でする、出勤前の10分ほどのキャッチボールが何よりも楽しかった。夜は兄弟3人と父が並んで素振りをし、一緒に走った。

 野球がうまくて料理もできる。テレビが壊れたら、分解して修理してしまう自慢の父。だから、「おやじと似てきたな」と、知人から言われるのが、うれしい。

 中学2年になった広輔君の球を受けたとき、「怖いな」と内心思った。だが息子には言わない。「おやじだからと手加減されたら嫌だから」

 広輔君も負けず嫌いは親譲りだ。県内屈指の好打者になった今も、バッティングの調子が崩れると父に相談するが、気持ちの「不調」まではなかなか打ち明けない。

 昨秋、右ひじを痛めて1カ月ほど投げられなかった。「新チームを引っ張らなきゃいけないのに」と焦り、復帰後も不振が続いた。

 そんな夜、誰もいない屋上に1人で寝ころんだ。ぼーっとして夜空を見上げると、ざわついた気持ちが軽くなっていった。「自分らしくやれ」。父親に言われ続けた言葉を思い出した。

 バットを振り込む中で1年生のときに無我夢中で振った時の感触がよみがえる。思い切りのよさが自分の取りえだ。夏開幕を控えた6月、快音が戻った。

    ◇

 「親を越えてどんどん上にいってほしい」。正行さんは思う。甲子園に行けなかった高校3年生だったときの夢を、広輔君がかなえてくれること。それが今の一番の願いだ。


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