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アルプスに響け〜夏の仲間にありがとう〜

この決勝は財産になる。きっと 尾藤公×山下智茂

2006年08月22日

 <尾藤> 前日、15回が終わって、駒大苫小牧、早稲田実の両チームの選手がみんな、ホッとしていたのが印象的だった。僕も、「引き分けでよかったよ。明日もう1回、この甲子園で野球ができるやんか」と思った。

写真

尾藤監督(右)と山下監督

 <山下> 僕も1試合目が引き分けに終わって「優勝旗が2本あればなあ」と胸が熱くなった。僕が監督をしてた星稜と、尾藤さんの箕島が延長18回を戦った79年の第61回大会の3回戦。箕島にサヨナラ負けした。18回。「勝つ」とか「明日、もう1試合」なんて全く考えなかった。「いい試合で終わりたいなあ」という気持ちだけだったのを覚えている。

 <尾藤> 試合が進むにつれて「星稜の連中はすごいや」という気持ちになったよね。

 <山下> 負けて宿舎に戻って、一緒に風呂に入ったんだ。みんなの背中をこすってやっているうちに、全員で校歌を歌い出した。グラウンドでは歌えなかったからね。感動したなあ。

 <尾藤> 宿舎に帰ると、選手が輪になって正座をして待っていた。目に涙をいっぱいにためてなあ。僕も「何か声をかけないと」と思ったけど、結局何も言えなかった。でもそれで心が通じ合った気がした。優勝できたのは、間違いなくあの18回を乗り越えたから。

 <山下> それにしても斎藤君は3回までパーフェクトだった。すごい精神力。4連投で、前日に178球完投した投手とは思えない。奇跡に近い。内角直球を捨て球にして、外のスライダーで勝負し的を絞らせなかったのがいい。

 <尾藤> 確かに疲れをみじんも感じさせなかった。27年前に比べたら、ケアの技術が格段に上がっているせいもあるだろうね。前日もそうだけど、締まったいい試合になった。この試合を見ていて思い出したのはやはり山下さんのことだし、星稜の選手のことだった。選手、監督含めて今でも付き合っている。この両チームも和泉、香田両監督含めて、同じ野球をした一生の仲間になるだろうね。

 <山下> 認め合う。尊敬し合う。お金に代えられない財産になる。きっと。駒大苫小牧の追い上げは雪国らしい粘りだった。4―1で終わるより、4―3にしたことが部の将来に向けて自信になる。

 <尾藤> すごいね。3点差を追う9回に2点を取った、駒大苫小牧選手たちの気力は。頑張れ斎藤、頑張れ田中。お互い「あいつには負けたくない」と思って投げてきたんだろう。両方を応援したよ。9回2死で打席とマウンドで火花が散っていた。

 <山下> 早稲田実と駒大苫小牧の2試合で、野球の奥の深さ、すごさが分かってもらえたと思う。僕は今、ベトナムなど海外の子供たちにも野球を教えている。彼らにもこの試合のことを伝えたい。

 <尾藤> バントの精度や堅い守備など、第1回大会から作り上げ、ここに結実したのが早稲田実の野球。この決勝に出会えてよかった。感謝したい。胸がいっぱいだ。

    *

 びとう・ただし 和歌山・箕島高元監督。日本高野連常任理事。同県有田市生まれ。和歌山相互銀行を経て、23歳で同高監督に就任。68年、東尾修投手(元西武)を擁して、選抜大会に初出場で準決勝進出。70年に選抜大会優勝。79年には史上3校目の春夏連覇を達成した。甲子園での通算成績は選抜大会優勝3度、選手権大会優勝1度。95年に監督を退任。63歳。

 やました・ともしげ 石川・星稜高総監督。同県門前町(現・輪島市)出身。駒大を経て、同校社会科教諭になり、監督に就任。72年夏に甲子園初出場。76年の全国選手権では小松辰雄投手(元中日)を擁し準決勝進出。95年の全国選手権で準優勝した。74回大会で5連続敬遠された松井秀喜外野手(ヤンキース)らを育てた。05年8月に監督退任。61歳。

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